三浦に生まれ、三浦から出ずに一生を終えろ、とは誰も言っておりません。
むしろ、三浦で育ち、世界を見て、やっぱり三浦がいいと戻ってきてもらたい。
そのためには「みうら学」や「海洋教育」を体系的に捉え、三浦の事をよく知ってもらい、郷土愛が育める環境を作ることが必要だと考えます。
つまり、子どもたちには、おらがまち三浦のことを知ってもらった上で、国際交流などを通じ、多様な価値観のもと、全国・世界に羽ばたいてもらいたい。
そして、三浦の外に出て様々な経験をし、その経験を生かしてまた三浦に凱旋し、まちを支えてくれる人財となって帰ってきてほしい。
「支えられた者が帰ってきて支える側になる」
このサイクルが完成すれば、三浦は持続可能なまちとなり、
ここに「教育は国家百年の大計」の初段階が完成します。
「米百俵の精神」で若者の成長に共に力を注ぎましょう。
この三浦において、近年、政治家の市政報告会は何回ありましたでしょうか。
議会として何をしたか、の議会報告会ではなく、政治家個人として何をしたか、の市政報告です。
私は、これまでやってきた活動をこのHPに書くように、
三浦のためにどんな活動をしてきたかしっかりと市民に伝えることを約束します。
4年以内に確実に1度、可能であれば中間報告も兼ね、2年に1度(これはあくまで目標)行う予定です。
どのくらいのペースがいいのか、これは今後考えさせてください。
まちを変えるのは市民一人ひとりの行動だと思っています。
市民一人ひとりの声が政治家を動かし、まちが変わります。
一方で、その市民の意識を変えるのも政治家の役割だと思っています。
この相互のコミュニケーションがなければ、官民一体となり全国に注目されるまちにはなり得ません。
だから私は、市民の考えを受け止められるように、そして私の考え・行動に共感していただくために市政報告会の実施を約束します。
こんなこと、今言える立場ではないかもしれません。
ですが、
三浦は政治家も担い手不足です。
この根本的解決には、誰かが育てるしか無いのです。
私は未経験で現場を知りません。
でも誰もやらないなら三浦のために私は行動します。
なぜなら、
この選択が三浦の未来のためになっていると信じるからです。
私は子どもたちにも「日々是勉強」という言葉を教えました。
(代々木ゼミナールの標語「日々是決戦」から取った造語です)
これは、勉強=学校の勉強ではなく、結局の所、人は生きる上で日々何かしら学んでいかねばならないということです。
ゲームであれ、恋愛であれ、仕事であれ、学び続けなければ新しい波に乗れなくなってしまいます。
私もこれから新しい分野を学ぶ立場で、教えられることはまだありませんが、包み隠さず活動履歴を残すことでこの道を目指す誰かのためになればと思います。
そして、これから三浦を背負って行く「旅の仲間」を集め、共に学んでいこうと思います。
三浦の住環境が良いのか、親の育て方が良いのか、全国に比べても運動能力が高い子、芸術感覚に優れている子、学術に長けている子など様々な分野で活躍が期待される子が多いです。
一方で、家庭の都合や移動距離の問題などで可能性を伸ばせない子もいるのは事実です。
公教育で就学援助があるように、将来三浦を背負ってくれそうな子や若者に援助をする体制があってもいいのではないかと考えます。もちろん隠れ貧困層への援助もここには含まれます。
とは言っても、いきなりは無理なのでまずは頑張っている人の応援から私はスタートします。
地域全体で子どもを育てるということは、ある意味、資本主義経済の中に一部社会主義、全体主義的要素が入り込むことに他なりません。
「自分たちだけ良ければいい」から「自分も、隣人も」と思えるようなまちづくりのゴールはどこにあるのでしょうか。
「noblesse oblige(ノブレスオブリージュ)」
このフランスの言葉に一つのヒントが有るように感じます。ヨーロッパやアメリカでは寄付が一般化されており、社会を牽引する立場の者こそ弱きを助け、次代を育てるための援助を惜しまない風習があります。
新資本主義のモデルがいまだ見つからないまま、人びとの暮らしが豊かになる仕組みづくりは政府与党である自由民主党の責務であると考えますが、明らかに三浦で考える規模ではありません。
しかしながら、中央集権国家である日本だからこそ、地方に残された遺産とも言える風習・文化から本当の新資本主義が生まれるのではないでしょうか。
三浦が大好きだから、だけではなく絶妙に取り残された前時代的風習がある三浦だからこそ、これからの社会の在り方のヒントになる気がしてなりません。